宇摩志麻遲が見た古代の夜空

The essence of human problem
人間の問題の本質
Instinct is formed by the memory of genes.
本能は遺伝子の記憶によって形成される。
Like a wolf branches into a dog by genetic experience,
狼が遺伝子の経験によって犬に枝分かれしたように、
Also in human genes, different logic embeds logic in the genes.
人間の遺伝子にも、経験によって異なる論理を遺伝子に組み込んでいる。
Memory of a gene instinctively appears.
遺伝子の記憶は本能的に表れる。
Human will consists of the memory of genes, the experience of the soul and the influence of other spiritual will.
人間の意志は遺伝子の記憶と魂の経験や他の霊的な意識の影響から成り立っている。
As phylogenetic trees branch out, people who have branched logic have a problem,
系統樹が枝分かれしている様に、論理が枝分かれしてしまった人間同士は、
Even if it is impossible to teach watchdogs to cats,
猫に番犬を教えても不可能なように、
Those with different logic can‘t be solved by discussion.
論理が違う者同士は話し合いでは解決できません。
Then you decide only to exclude power domination, there is no way to coexist.
そうなると、力の支配を排除することだけを決定するしか、共存する方法はありません。
The experience of the soul of a social person himself can transcend the experience of the gene and other spiritual consciousness,
社会性のある本人自身の魂の経験は、遺伝子の経験や他の霊的意識を超越できるが、
The soul that can’t be self-sustained like that is caught by the memory of the gene and other spiritual consciousness.
その様に自立できない魂は、遺伝子の記憶や他の霊的意識に拘引されてしまう。
Or, a soul without social nature is too willful and dissociates from gene experience and other spiritual consciousness.
又は、社会性のない魂はわがままな為、遺伝子の経験や他の霊的意識と解離していることもある。
Those that are not social in the world of wild animals are naturally culled, but in human society weapons and money are available so there is no natural elimination.
野生動物の世界では社会性のないものは、自然淘汰されるが、人間社会では武器とお金がものを言う為、自然淘汰が働かない。
In the human future, we have to create a society where weapons and money have no power.
人間の未来は、武器とお金が力を持たない社会を創るしかない。

 

古代史が解けない訳
弥生後期は多くの国に分かれて大乱状態であるから、王が自国を出る事は難しいと思います。
そんな中、出雲地区の大国主が近畿や九州に自分の縄張りであるように移動できるわけがありません。
素戔嗚が高千穂や出雲や紀伊で主導的に行動できるわけがありません。
記紀神話で同族か敵対かは関係なく、物語に都合が悪い事象を消すために当てはめ誤魔化したのです。
出雲にはヤマト系とクナト系が共存していたと思います。
奈良を中心とするヤマト大国のヤマト系の卑弥呼が亡くなると、クナト系のスサノオが、出雲に侵攻し、出雲のクナト系民と合流し、ヤマト系の大国主を攻めました。
スサノオが出雲を征服し、奈良を中心とする邪馬台国の男王に成りました。
出雲でヤマト系の王からクナト系の王に変わったのを国譲りをしたと言い換えました。

言うまでもなく、実質的な天皇は居なくて、各国の王に成ります。 
邪馬台国の卑弥呼が亡くなり、台与が継ぎ、大和朝廷に替わって卑弥呼も台与も歴史から消えました。 
邪馬台国が分裂し始める前の統一連合の卑弥呼は統一の象徴です。 
大和朝廷から実質天皇の始まりです。 
神武天皇は実在しますが、西暦300年頃です。
それまでは各国の王です。

誰々の子孫だと言って脈略を作り、上位に立とうとする者が居ない筈がありません。。
有名な人は、善くも悪くも名前をもっともらしく使用された痕跡が全国にあるのです。
時の勢力が事実を捏造するのは当たり前です。
時の勢力の文書、各地の嘘の脈絡、それらの不確かが根拠とされ、証拠となっています。
むしろ、その証拠としているものは、都合の悪いものがあるという証拠になります。
脳の本質を見れば、こんな時、弥生時代の奈良人は、名古屋人は、茨城人は、どの様に認識してどう行動するか推測して整合性を検討すれば、史実の大筋に近づけると思います。

棺の上に各地方の土器が割れて埋まっているのは、各地方から葬儀に参列しに来た者が奉納した訳ではありません。
生前使った物や所有物には魂や念が宿っているので、壊して魂を抜いて、あの世に旅立たせるのです。 
鏡が割ってあるのも、宿った魂を次のシャーマンへ引き継ぐという意味もあると思います。 
石上神宮は武器庫ではありません、剣に籠った魂を鎮める神社だと思います。 
宇摩志麻遲命は鶴に乗って鶴降山に降りたのではありません、亡くなったので魂が鶴に乗って来たと言ったのです。
政治=政(まつりごと)は神祭りをしてシャーマンに憑依した神霊が言った言葉で行われました。 
その憑依した霊には善い霊と悪い霊が居るので、審神者が判断します。 
穢れは人形や他人へ移し免れようとします。 
市杵島姫は(斎の揣摩)です。イツキ(潔斎して神に仕える) しま(揣摩=未知を推量する)優れた姫です。 
宇摩志摩遲は揣摩=シャーマンでもあります。 
猿田彦は(猿田の彦)です。猿田族の男王です。彦は王です。 
客人(マロト)は外人という感覚がない時の言葉で稀(マレ)な人の事です。 
当時の神や霊という感性を主体にプロファイリングしなければ、文書や遺跡を審神者出来ないのです。
古代史を解くには多くの人の感性が必要なのです。

絹織物の言葉では
アキツ=トンボの羽の様に薄く繊細な織物 
イセ=細かく縫い縮める(集約した) 
カツラキ=目の粗い薄い綾絹(精妙な) 
カトリ=固く織った絹布(しっかりした基礎) 
カシマ=やかましい(栄えた)(華侈=派手で贅沢)

アイヌの言葉では
ト=あの世とこの世の境  
戸隠=神を隠した
科戸=風の神の現れる処
カマト=火の神の現れる処=かまど
大戸=最も大切な神の現れる処=火の神
サンペ=心臓=三瓶山は血を吹き出す心臓

意味が変わった言葉では
彦=王のことを古代はヒコと言ったと思う
市=霊の意中を述べる(意識を交換する)(現在の市場は物を交換する)
島=揣摩(未知を推量する)(しまと読む) 伊勢志摩はシャーマンが集まった?
十握剣=十本の剣 剣の数え方は握り
客人(マロト)=まれな=外人
山=御陵(カツラキ山=神々しい御陵)
こうやって読むと面白くなりませんか。
ずっとその感性を排除し続けています。

古代史研究には権威や立場は障害になります。
知識欲では解けません。
米の作り方も古代からの賜物で現代人が偉いわけではありません。
記紀に書かれている古代神話の事実を知りたいと思って古代史に興味を持ったはずなのに、古代史研究の大家から、記紀から外れる事は稚拙だ、無知な者の自己主張だ、と言われ、いつの間にか大家の押さえつけに洗脳されてしまい、大家の仲間入りをしている。
先人の経験が、本や大家のピラミッドを作る事に私用され活かされていない。 
歴史を封じるということはスピリチュアルもパワースポットもまやかしであり、敬う心の先祖供養ではなく、先祖の死を無駄にし封じをし続けている状態です。 
歴史を知るという事は、先祖を知り、自分が成立してきた要素を認識し、自分を知るためにあるはずです。
自分は戦争をする様な人間ではないと思っていても、歴史が繰り返されたのを見れば、戦争だけではなく、人間がしたことは全て、人間の脳では、状況によって誰でもがそうなってしまったのです。
その事実を知っていても、自分もそうだと気づかないのは、表面だけ調べて、本質を見抜かないからです。