あの夜とこの夜の夜空 consciousness

渡辺慈水師 大正15年、慈水さんが光乗寺副住職の時の法座の讃題(法話の内容は分らない)

   若人よ
    日々に逝く汝の
      青春を惜しめ
     然して永遠に若き
       如来の光明に生きよ


慈水さんは光乗寺で日曜学校をされていた。「阿~弥陀~仏を 拝まなむ~」と皆で歌って、慈水さんの話を聞くのである。
話の内容は全く覚えていないが、明治に育った人の話を聞けたのは、たぶん私に大きく影響したであろうと思う。

はかない世に生きた人達から見える世は凝縮されている。
幸せが当たり前の権利だという“ぬるい“世に生きている人には持ちえない、魂の鋭さが失われていない。 
ぬるい世は理想ですが、命を張っているから、光明がある。。
よそがぬるいからと、先人の記憶を失って心(魂)までぬるくしては勿体ない。
魅力や個性は人生を掛けているから身に付くのです。

この世に逢いたい人など一人もいない、逢いたい人はあの世にいる。
だからと言って、あの世に急ぐのではない。ひたすら人事を尽くして天命を待つ。
いかなるものからも教えを見い出し、魂の一分とする。
心を人についやしてきたけれど、心を真の友と共に安らけることにする。
夢でどこかの住職が伝えてきた。「苦しみにつけ、悲しみにつけ、いつも笑っていよ」

こばなし天国と地獄
寅の目の前に天使が現れて、「天国と地獄を見てみたいか」と聞くので、 寅はハイ!見てみたいですと答えました。
天使は最初に地獄へ寅を連れて行きました。 
地獄には、いるわいるわ大富豪、政治家、マフィアのボス、宗教家など、人のことは気にせず自分の事しか考えていない人たちが、相手の腹を読み牽制しあっています。 しかし地獄なのに酒や食べ物は有り余るほどありました。
天使は次に天国へ寅を連れて行きました。
天国では皆が協力し助け合い、余ったお金を税金として神様に預けていました。 そして週に2日神様から休みを戴いていました。 だから天国では飢える者はなく、皆が同じような生活をしていました。
気が付くと天使が何処にいるか見当たりません。 
寅は天国中を探しましたが天使は見当たりません。
下界を見てみると、そこは先ほど見た地獄ではなく、人が蟻のように所々に集まっていました。
よく見てみると、主を失った召使や子分たちが主の棚卸をしていました。
寅は天子が天界へ帰ったのだと思い、上を見て見ました。
そうしたら天使がなにやら配っているのが見えました。
よく見るとそれは神様に預けた税金の様です。
受取っているのは地獄で見た大富豪や政治家、マフィアのボス、宗教家達でした。
どうも霊界では地獄が最上階の様です。
天使は霊界では彼らの召使の様です。
地獄も天国も下界も霊界では同じような人達の集団があって、他所の違う人たちの情報は見えず、争いもせず時が流れていました。


狸の音真似
35年くらい前の渓流釣りの本だったと思いますが、コトトリやカケスが音真似をするように、狸も音真似をするそうです。
山小屋に泊まっていると、ギーコ、ギーコ ドーン と木を切り倒す音を出します。
ドアを叩くので開けてみても誰もおらず、無視していると コンマンワ コンマンワ と言うのです。 
こんばんわとは発音できないそうです。
床板を開けて見たら、狸の巣がありました。
いたずらをしたら狸汁にして食うぞと言って逃したら、音真似は止んだという内容だったと思います。
ネットで本を探すけど見つけられません。
山は不可解な事が多いらしいです。艮神(こんじん)の行き当たりといって、風の谷のナウシカのオームのような艮神の通り道に居ると、山を再生する為に走り回っている一体の艮神がいきなりぶち当たり、飛ばされて亡くなる。
良く知っている道なのに、何故か間違え迷ってしまう。
食べ物を持っていると、狐に騙され、気が付いたときは食べ物が無くなっている。
朝、気づいたら、川の中の石の上に立っている。
実際に亡くなる人がいるので疲れている時は尚更八百万の神を敬う事を忘れてはいけないと思います。
「人間は1人では生きていけない」ではなく。いろいろな意識に守られ「1人ではない」のです。
結婚も離婚もいじめも見える相手だけではないのです。 
その背景には数えきれない程の意識があるのです。 結婚では神にまで誓ったのです。 

自分探し
自分を知るということは、人間の歴史を見れば、人間は皆、たいして変わらないから分ると思います。
猫を知るには猫の行動を研究すれば、解るように、人間も大差はないと思います。
本格的に宗教が浸透して少なくとも2千年前から歴史は繰り返していますが、人間脳の限界を証明していると思います。
自分は戦争をする様な人間ではないと思っていても、歴史が繰り返されたのを見れば、状況によって誰でもがそうなってしまったのです。
その事実を知っていても、誰もが自分もそうだと気づかないのです。
神に誓っておきながら、神は許して下さるとなるのです。
気づかないのが、動物と同じように人間脳の限界だと思います。
野生動物が子にルールを教えるように、教育しかないということだと思います。
自分探しは、細かく見れば先祖を見れば一目瞭然なのです。
先祖の意識は入っているけれど、表れ方が違うのだと思います。
数千年、数万年の経験で養った人間の性質は、一生では変わらず、何回生まれ変わっても変わりません。
社会が持つ尊敬できる対象が、変わらないと、変わりません。
宗教的解釈では、変わらなかったということを、まず認めて、現実の真実を解かなければいけないという判断が必要だと思います。
人間の本質を見なおさないといけないということです。
理想を言って、誉れを得るのではなく、本質を分析しないといけないのです。
それが自分を知ることに成ります。
先祖が、霊が、人に影響する事も、現実の真実です。
人間が自分の脳の範囲内でしか判断できないのも現実です。
無や空は、脳の範囲を超えよとして創った、脳の範囲内の理想であって、現実の真実ではありません。
権威や立場を超えて、自然科学や、物理化学、病理、霊媒師や、宗教家が真摯に情報交換をしないと、脳の範囲は広がらず、現実の真実を表わす不動の言葉も生まれず、社会が尊敬する対象も変わらず、今まで通り繰り返すのです。
価値観が違って最も争いの基になる、神と親と子の関係は、人間脳の十人十色の知恵が作り出した洗脳で、洗脳されている事にも気づかず、真実ではないから、最ももめるのです。

30数億年前からの植物の知能?
脳や目が無いのに、植物が昆虫の興味をひくために、形・色・味質を作っている事を誰も解明できません。
植物は太陽と水と二酸化炭素を使って自らブドウ糖を作っています。
冬には凍結しないように糖分を増し、自らを守っています。
植物は窒素から必須アミノ酸を作ります。果実は種が出来るまでは渋く、種が出来ると甘くなり動物に食べてもらう準備をします。
植物は細菌や昆虫に対して、臨機応変に対応を変えて来ています。
植物は紫外線による活性酸素に対抗するビタミンを自ら作ります。
植物や細菌・昆虫は多種に及び、例え一種類絶滅しても、その絶滅原因に対応できる種を作り生き続けて来ました。
30数億年前から、植物は光合成をして酸素を排出し続けています。
酸素が出来た事により、酸素をエネルギーとして活発に移動できる動物が発生しました。
植物が居なければ、移動できる動物も発生出来ませんでした。
どれも人間には出来ない事ばかりです。 植物から見れば人間は植物の恩恵から発生した生物です。
小麦・野菜などは、その人間によって、世界中に生息域を広げました。
脳や目が無いハンマーオーキッドが蜂のメスそっくりに花を作り、メスのフェロモンそっくりの臭いを出すのは何故でしょうか? 蜂の生態を理解して、メスの形・色を認識しないと出来ない事です。
パッションフラワーは葉に黄色い斑点を付けて、蝶に卵を産む場所が無いと思わせます。
ゴジアオイは耐火性の種を撒いた後、揮発性の高い物質を分泌して、自然発火して自分と周りの植物を焼きはらいます。
植物には、人間の脳では理解出来ない、違う知能があるように思えてきます。
今年の3月にそのような認識が出来る夢を見ました。
山の麓に竹林と畑が隣接していて、百坪位の畑に直系4cm位の竹の根が上下左右絡み広がり、地表から地下90cmまで波打つように伸びていました。
竹林との境界が30m位有り、その長さを深さ1m堀り、竹の根をすべて切り、百坪位の畑の根を掘り起こし始めた2日目の夜の夢の事。 山の全ての樹々が、幹を左右に振り、大笑いしていました。
すべて掘り起こすのに10日掛かり、スコップが竹の根に当たる衝撃は、肘に4か月痛みが残りました。最後に1mの深さすべて波板で遮断しました。
笑われるなど、夢にも思っていなかったのに、夢で木に笑われました。
樹々の意識を夢という媒体で感じたのだろうと思えてきます。
目は無くても見え、脳は無くても無理だと判断でき、笑える感情があると思えました。
植物の知能を解明せずに、批判は出来ないと思います。 遺伝情報を写し取っただけでは説明できません。
人間は植物や、動物から必要な物質を取り、病気には薬を使い、使い続けると薬の効力も無くなります。有害物質に耐性を持つのではなく、薬に耐性を持つようになります。
植物から見れば慌てふためいている様に見えるかもしれません。
長寿の地域は医療が発達している所とは限りません。
10万年の人間が30数億年の植物を解明することは不可能なのかも知れません。
ふびんな人間の面白さを植物が理解することも不可能かも知れない。


地球の周りは青み掛かっていて、神はいなかった
古代の人と現代の人の行動の思考は、すなわち脳は進化していないと思います。 
動物の種類でいくら教育しても限界がある様に、人間(猿人)の脳も限界があり、進化できないと思います。
経験を活かして技術を進歩させる部分は秀でていますが、思考の本能は進化していないと思います。 
だから歴史はくりかえし戦争が無くならない。
状況に拠り理由が理不尽という性質になるのは、人間脳の限界であると歴史が証明している。
富裕層や国境や公務員の意味が無くなるほど科学が進歩したら、脳は変わらないけれど戦争はなくなるかもしれない。
古代では地震、雷を見て神を確認し、神の御意志を察して、生贄もしてみましたが、災害も食料も思うようになりません。
巫女に神の御意志を尋ねると、先祖霊が先祖霊の認識の範囲内で助言してくれました。
その助言が神の言葉となりました。
そして魔女(巫女)狩りもしました。
現代では、地震や雷の畏れが高次元に替わりました。
自分を崇高に崇めすぎた為に、高次元へ救いを求め、動物として自力で生きようとしないのです。
古代は生贄をして神に救いを求め、現代は自虐をして自分は良識ある人間だと、人を落とし、救いを求めるのです。
安易に神霊に頼り、自分の想いを満足させようとしますが、神霊は本当の事も教えてくれますが、神霊に都合の良い様に導きます。
神霊には親身な者も適当な者も意地悪な者もいます。
しかも、嘘を教えられた神霊は、その嘘を事実だと思い込んでいます。
取り返しのつかない事をして引くに引けない神霊はたくさん居ます。
人の口を借りる神霊はほとんどが自意識過剰ですから内容を操作します。
神霊の波長を欲しがり、神霊から教えてもらい、飛び級していると、知識は大学生だけど、魂は子供のままになってしまいます。
そして神霊の波長を受取れなくなると、ずっと神霊を探し続けるようになります。
神霊も人間も大したことはありません。
神霊だって解らないことだらけなのです。   
ガガーリンが宇宙へ行った1961年までに地球は青いと言った神霊はいないでしょ。
小さい国でも歴史が長いと守ってくれる神霊が多いのです。
大きい国でも見捨てられるような事をすれば、守ってくれる神霊は少ないのです。
その意識が風土となりその地方の民の性格となるのです。
皆が思っているような平等な神はいません。
しかしそれぞれに見守ってくれる神霊がいます。
それは先祖だったり、縁の有った人であったり、動物であったり、助けた人の神霊であったり、神霊と言っても黄門様のような人だったり、八兵衛のような人だったり、強い人だったり、弱い人だったり、平等ではありません。
人は霊界の知識が豊富になり、自分は特別であると勘違いします。
人は神霊に頼る事で、魂の判断力、成長が止まります。
神霊に頼らず、信念を持って判断し、個人を確立する事で、集団になっても誤った方向へ流される事無く、集団が良いと思った方向へ進むのです。
封建社会から突然民主主義に変り、個人の責任と覚悟を自覚する事無く、自由と平等と権利を手に入れたものだから、自分達で意識改革して作っていったものでないから、飛び級したから、大人に成らないまま、各々の幸せを追い求める、自分達だけ幸せに居“続ける”事は、人間には不可能なのです。
幸せとは、皆が共通の秩序を持っている事です。
秩序は押しつけられるものではありませんが、自由ではないのです。
それを踏まえた上で自由があるのです。
しかし、共通の秩序の前に共通の認識という問題があります。
一番大きな認識の違いは、神と親と子だと思います。
親がいなかったら自分はいない、というのはもっともらしい道理に思えますが、神がいなかったら人間はいない、神は唯一であり、全知全能である。と同じ思考だと思います。
8歳の子供が、母親から「あの辺に住んでいる人たちは卑しいのだと、母の里に聞けば皆判る」と聞かされ。
その時思ったのは、「たまたまこの体に入ったが、その地区の同い年の体に入ったかもしれない」と思い、この人は間違っていると8歳の子供は思いました。 
この場合、親より子の方が、魂では遙かに年上なのです。
肉体ですら遺伝子は代々受け継ぎ、二親が新しく作ったものではありません。
縁を決めるのは霊界の事情であり、子が親を選ぶと言うのは、「この二人の内どちらにするか、どこの家系にするか、どこの地区にするか」のようなことで、親にへりくだるような事情ではありません。
ましてや、魂は親の魂の下に位置するものではありません。
不具の体は肉体が不具であって、魂は不具ではありません。
「知的障害の体があなた自身だ」というのか、 「知的障害の体であるけれど、その中のあなたの魂があなた自身であり、あなたを見ることができない」といえるのではないか、不具の体は親からきているものであり、魂は本人自身の経験であり親や地域や法律の下位に位置するものではありません。
しかし、仏教では親がいなければ子供はこの世に出て来られないという思想を植え付けた為、つい100年前まで、親が子供をどうしようと親の勝手という道理でした。
親は子を預かったのであって、授かったのでも発生させたのでもありません。
魂を預かったのです。
しかし日本の世間は、親を嫌う者を無条件に異常者だと認識します。
親は子を殺さない限り、外面さえ良くしていれば何をしても疑われないのです。
「親に成って初めて得た権威」という誇大妄想を誰も失いたくないから、「親が尊い」が絶対なのです。 
世間が本質を正しく見なければ、子供は理由も分らず世間に絶望します。
子供の絶望は親だけでなく、世間にも責任があるのです。
「育てるのは難しい」とか「親は正しい」とか、ちぐはぐな事を言っている事さえ気づく事が出来ないのに、 親になれば「立派と権威」を得たと思い込むのです。
その自分の既得権を有効にするために、全ての親に「立派と権威」を認めて、本質も無いのに、経験を誤認し正常ではないのに、有能な子供の上に立つのです。
本質が空っぽなのにも気付かないのです。
本質は「親だから」しか言えないのです。
本人は親の言う通りにはしなかったのに、自分が親に成れば「親だから立派」と思うのです。 
預かった魂が何万年というリレー途中の先導を間違わないように、人間の現実を教え導くことが親の責任なのです。
野生動物でも親は子に正確に現実を教えるのです。
野生動物は、現実を知らずに理想を教えるようなことはしません。
欧米人も同じように自分本位の道理を考えます。 
野生イルカは水族館に入れてはいけないけれど、育てたイルカは自由を束縛しても良い。
このような認識が形を変えて繰り返していることすら気付かないのだから、歴史は繰り返します。
詰まる所の本音を突かれると、大勢で槍玉に挙げて排除するので、聞こえの良い事を言う者が主導するという社会を繰り返し続けて来たから、常識が変わってしまったのです。
数種類の集団の利に成る様に常識が枝分かれしたのです。
傲慢な枝が勝ち増え、謙虚な枝はその木からは二度と生えません。
傲慢な枝は重くて倒れます。
それでも、倒れてもいつかきっと救われると思っているのです。
自分が正義だと思っているから。
大まかに、自国の過ちを伝えず記憶していない国が何十億人いようと、一億の日本人の先祖の記憶を積み重ねた意識には到底及ばない。
しかし、二十億人の欧米の記憶である、覚悟を持った記憶の積み重ねが至る自律には、日本人は到底及ばない。
然して記憶を積み重ねる初めの元となるべきものが、
たぶん神と親と子の関係の共通の認識を持つという事が、一番初めだと思います。
私は15歳の時に両親に「私はあなた達から技術的な事は学ぶ事はあるけれど、精神的な事は学ぶ事が一切ない」と伝えました。
私は15歳の頃からずっと、尊敬できる人を探し続けています。
幼稚園児からも学ぼうとしています。
普通に来島ドックの坪内寿夫さん、中きく曽野綾子さん、大きく開高健さん。
開高さんが亡くなった時は、その時事の世情に発せられる開高さんの言葉が聞けなくなったことは、今までで最大の悲しみ、最大の失望でした。
「全知全能の神とは知恵の悲しみですな」と開高さんなら言うと思います。

心はどこから来て、なぜ、移り変って行くのでしょうか
生まれつきの性質は魂の表れであり、その魂を性分とか性根と表現しています。 
数千年、数万年の経験で養った性質は、一生では変わらず、視野の狭い者ほど、何回生まれ変わっても変わりません。 
「三つ子の魂百まで」と表現されます。 
数多く生まれ変われば善い人に成るのであれば、人の世が荒んで行く訳が有りません。
生まれながらにして心(魂)は皆違います。
性善説も性悪説もどちらも雑多にあてはまります。
たとえ、経験が少なくても、そこの風土を受けて、人は善くも悪くも変わって行きます。
心は魂の本質であり、人それぞれ見せかけ方が違います。正直な人は嘘がばれたり、逆に正直を装って嘘を本当に変える人もいます。裏の裏をかいて見せる人もいます。自ら社会をねじけて環境を乱します。
元の人の心とは、どんなものだったのでしょうか。
それは、はかりごとのない、ただの記憶だけだったと思います。
理想因果ではなく、現実因果を表現して見ました。
寅が28歳の時、寅は後頭部が自然と痛くなり1ヵ月位痛みが続いていました。 
脳神経外科でCTを撮っても原因が分からず、痛みは続いていました。 
そんなある日、知人から霊媒師を紹介されました。
霊媒師が言うには、猫や狸など車に轢かれた動物が沢山憑いていると、寅が亡くなった動物を見ると「成仏しますように」と念じるので、その動物霊が頼って離れず集まってしまったらしい。 みごとに当たっていました。
動物霊の救い上げをしてもらい、しばらくは頼って来る霊を、寅が跳ね返す力が付くまで、気を入れて救い上げをしてもらう事にしました。
その霊媒師と話をしていると、霊媒師が驚いたように「十種大祓を称えるように」と誰かが言っていると、寅に伝えました。
それと寅は十字架を背負っていると言う。 
何故十種大祓を称えるのか、十字架が何なのか分らないと言う。 
その後、三回目に会った時、霊媒師が言うのに、「寅の知人の里の離れに般若の面があり、それが寅を狙って干渉している」と言う。
離れを調べたが般若の面はありませんでした。

更にそれから三年後、別の二人目の霊媒師に、寅は物部の人物であったと言う。 
ここで一人目の霊媒師の十種大祓と二人目の霊媒師の物部の人物が繋がりました。 
知人が「自分は有名な武士の家系である」と言っていたので、二人目の霊媒師に聞いてみたら、その系統は入っていないと言う。 虎が家系図があるのだと言うと、霊媒師は、それでも入っていないという。
どうも上位に立つために先祖が脈略を自作したようである。 

更にそれから3年後、また別の三人目の霊媒師が言うには、寅の知人が般若の様な形相で寅を狙っていると言う。 
寅を屈服させたいのだと言う。 
過去世で知人は姫であり、皆からもてはやされ色々な男が寄って来ていたという。 
しかし寅はこの姫の本性を見抜いており、相手にもしなかった。 
寅に色仕掛けを試みたが、見破られ本性を暴かれてしまった。 
それが悔しくて寅に仕返しをしたが敵わず、反対に本性がさらけ出されたらしい。 
それで復讐の為、寅に近づいたらしい。 

それから更に3年後、3歳の子供が寅の家に来たとき、1階で話をしているのに「2階に口が裂けて目がつり上がった女がいる」と言う。 子供の霊視です。

それで今までの一人目の霊媒師が言った「寅の知人の里の離れに般若の面があり、それが寅を狙って干渉していると言う」、や、3人目の霊媒師が言った「寅の知人が般若の様な形相で寅を狙っている」と言う、や、3歳の子供が言った「2階に口が裂けて目がつり上がった女がいる」と言った事が全て一つに繋がりました。 
別々の二人の霊媒師が言う事と3歳の子供が言う事が一致しており、まやかしではなかったと確認できました。

身近な人々の心底を見てきて、さらに、3人の別々の霊媒師と3歳の子供の見た霊界が一致することから、血筋というものは、特殊な場合、ある家系においては何代も同じような性根を引き継ぐ者が居り、たとえ名士と言われる家系であろうと、性根は傲慢であり、何代も続いているだけあって、性根を上手く繕い隠す事に長けていると、はっきり分りました。
そして前世で犯した罪を反省することなく、神罰が当たることなく、この世に生まれ、前世と同じことを繰り返しているのだと分りました。
この様に、性根を上手く繕い隠す事に長けている者にとって、因果応報は当てはまらず、その陰で陥れられた者は、因果応報を信じているが為に、身の潔白を晴らそうともせず、人生を終えているのを身近に見ました。

明治生まれの祖父母は妬まれていましたから、祖母は死後40年以上経っても「猫なで声でいやしい人間だ」と言われ続けています。
祖父は真っすぐな人で仕事以外趣味がない人でしたから何かにつけ陥れられていました。
仏様を信じていましたから、仏様が嘘を晴らしてくださると信じていましたから、陥れられても、陥れられても、何も言わず、するべきことをしていました。 
祖父は、祖父の兄が婿に入ってすぐに亡くなったので、兄の代わりとして婿に入りました。祖父母は19歳の長男を病気で亡くし、20歳の次男は戦争で亡くしました。 祖母は何年経っても外に出かけては親身な人の所で、亡くなった息子のことを思って涙を浮かべていました。 家では泣きませんでした。
寅には祖父母の戦争で亡くなった次男の魂も入っています。寅はその次男の命日が誕生日と同じ月日であり、死ぬときの記憶が二度甦った事があります。二度目は何の記憶かすぐ分ったので、即座に意識を断ちました。
寅もよく陥れられますから、それゆえに、嘘で陥れられた祖父母が悪人にされたままでいるのは、道理が違うと、世間に絶望していました。寅は17歳の時、同じ日本人に絶望し、海外移住を決心しました。

意識は、今世だけでできているのではなく、何万年という意識の積み重ねで成り立っている。
高次元を目指すとか言っていますけれど、意識が成長していないと思うなら、意識を組織に任せていたから、意識が自律していないと思って欲しい。
私が思うに、欧米人の方が良きにつけ悪しきにつけ自律していると思える。
自律しているから修正も自分でできる。
しかし今の日本人は自律していないから、制裁を受けないと分ると、自制が崩壊してしまい、その状態の修正に制裁が必要になり、数年数十年と掛かってしまう。
今の日本人の親睦という言葉は、誰かを落とした意識の上にあります。
誰も落とさなければ、親睦という言葉はいらないのです。
町内会などの自治組織は、村八分という制裁を意識した上にあります。
自治とは自分で自分のことをするという事が大切なのに、組織では自分を組織に任せて自分の責任を持たないので自治ではないのです。
会社を定時で帰れないのは、親睦・協力・薄情という、意に従わせる為の言葉の裏に、降格という脅迫を意識した上にあります。
これが今の日本社会のシステムだから、今の日本人は自分の意に添わないそれだけで、すぐに人を組織で制裁し、制裁したことに責任を持たないのです。
個人が自分で自分の行動を規制して責任を持たなければ自律した社会システムは成り立たないのに、責任を組織に持たせようとするから、思慮が体裁をとりつくろうことになり、本質を考えることが出来ない。
その程度の低い社会が、自律している個人を陥れ、いつまでたっても根底のシステムが変わらない。

知人と縁が切れた3日後、寅の頭の中でリズムが鳴っているのです。 
楽しいではなく、嬉しいという感じのリズムなのです。 
今まで聞いたことのない、とてもよく表現された不思議なリズムです。 
それが3日位続きました。 
仕事中気が付くと鳴っているのです。 
家にいる時も気が付くと鳴っているのです。 
1日に何回も気付くのです。 
先祖が本当に喜んでいるのだろうと思えました。

この一か月後、寅は不思議な夢を見ました。 
光の玉が弧を描いてスーーッと湾曲して飛んできて、寅はそれに乗るのだと気づき、光の玉が雑木林に居る寅の上を通過するとき、寅をスッと乗せ、木の間をものすごいスピードですり抜けていき、小高い山の頂上の平地にスッと降ろしました。 
そこで夢は覚めました。
その夢で、先祖だけではなく、他の存在が気に掛けているのだと思いました。 
そこに居ては危険だから離してくれたのだろうと、思いました。

寅は霊媒体質であると、どの霊媒師も言います。
二人目の霊媒師が言うには、むかし寅は動物と話が出来て、動物を使うこともできた。
三人目の霊媒師が言うには、現在寅は霊の意志が入るのを自ら拒否しているというのです。 
だから寅は見えたり聞こえたりしませんが、頭の中で閃くように自らの意志で分かると言うのです。
寅は一人目の霊媒師に会ったときは、見えたり聞こえたり出来る様になればいいと思いましたが、会って一か月もしない内に、まがい者が寅の意識に関わるのは拒否すると強く意識していました。 
外から入って見せたり聞こえさせたりする意識は、本当なのか作為があるのか判断ができないから、惑わされているかもしれないのです。 
だから霊の意志が入るのを拒否しているのは自覚していました。 
寅は審神者であったように思います。

寅は霊夢のような夢をたまに見ます。 
夢で、聞いたことのない言葉を調べてみたら実際にある言葉であったり、夢で警告内容の文字が見えたり、夢で自分の体の悪い部分がレントゲンのように見えたりします。 
それを教える存在は、まがい者ではないとは言えませんが、本当に合っていました。

寅は、過去世から進歩のない魂が、増長して同じことを繰り返している事に気付きました。
因果応報は確かに有りますが、全てに当てはまる訳ではありません。
全てが因果応報であるならば、人の世が良くなって行くはずなのに、少なくても2000年前から宗教が本格的に浸透しているのに、歴史は繰り返し、人の世が荒んでいるままなのは論理に合いません。

因果応報という言葉を使って、恨んでいる者には関わらず、恨まれている者に非を認識させることで、その場をやり過ごそうとします。 
恨んでいる方に正当性を与えて、性根は変わらず、魂は成長せず、傲慢な逆恨みを何世代許しても許しても、同じことを繰り返しています。
日本では因果応報が浸透していますが、本質を見ずに、安易に因果応報という言葉を使うと、自分勝手に恨みを持った者が復讐することを容認する事に成ります。 
それが逆恨みであっても間違いを正すのではなく、被者に「神仏の法則だから」と非を受入れさすのです。 
勝手に恨みを持った者勝ちになるのです。 
騒いだ方が勝つのです。
非を認めなければ無実なのです。
今の日本が全くその通りの状態だと思います。

日本の霊界は、因果応報を教育された者が創った霊界が大きいですから、本質を見ずに因果応報を鵜呑みにした先祖達が、霊界の意識で縁を繋げようとする時、敵同士を結婚の縁に繋ぎ、敵同士を親子の縁に繋ぎ、幼稚園児みたいに握手させ仲直りさせることが、誉れと思われるのです。
元の原因を精査して改めるのでなく、喧嘩両成敗が指導者の誉れになるのです。 
逆恨みする者を正す事が出来ないから、聞き分けの良い方に非を認識させることで、解決しようとするのです。 
だからせめて先祖には、冷静に正しく因果を心してもらいたいものです。

人を敬う心の無い人は、いずれ許される事を知っているのです。 
悪い事をする人は仕返しをしてくる人には手出ししません、そして人を許す人を見下しています。
恨んでいる霊はそのような波長をしていますから、同じような波長の霊が集まります。 
恨みを果たしたとしても、そのような霊に同調されて、少し気に入らない事があればすぐ人を恨みます。 
悪い友達の中に居るような状態です。
霊媒師はそのような霊を説得して人の心に帰すことが出来るほどの、説得できる畏怖を持っていません。 
その場では説得できても、しばらくするとまた元の愚狭な意志に戻ってしまいます。 
だから、霊媒師は原因がどうであれ、恨まれている被者に謝らせるのです。 
加者が嘘の情報を聞いて恨んでいても、被者がした事ではなくても、傀儡(クグツ)とさせて被者に謝らせたり、散財させることで加者の気を晴らさせようとするのです。 
しかし、それも一時しのぎで、後で「やっぱりそうかと、あいつが謝っているのだから自分に非があるわけない」と、恨んでいる加者を増長させることになります。 
被者は一度自分が悪いと思ったら、無意識にも加者に意識が飛び、加者の意識を呼び寄せて増長させてしまうのです。
恨んでいる霊にいちいち反応していると、波長を合わせてしまうので、自分の波長に穢れが入ります。
感動して心が洗われるのと逆の作用です。

人それぞれには見守ってくれている先祖がいるのです。 
その数は悪より遙かに多いのです。悪は少数だから悪が成り立っているのです。 
悪ばかりになると、成り立たず、ただの地獄です。 
この様な悪の波長の霊界は、同じような波長が集まっていますから、これを地獄といいますが、本人たちは地獄に居ると思っていないのです。 
被者が加者に慈悲を掛ける事を止めた時、この加者の波長の世界は、本当は地獄ではないかと、加者が思うようになるのです。

自分の誉れを求めるあまり、許してはいけない事に慈悲を掛け許したから、問題を避けるために、口を閉じ見過ごしたから、自己主張をしなくても、神仏が明らかにしてくれると期待していたから、野放しにした本人とは縁の無い人が、無情にもその被害に侵され苦しみ、いずれ本人にも被害が及んでくるのです。

寅は夢の中で、ソドムとゴモラ状態という言葉を聞きました。 
初めて聞く言葉で意味が分りませんでしたが、調べたら、民が無秩序なため、神の怒りを買い、すでに救いようのない破滅の状態だと分りました。
意味があった事に驚きましたが、その意味が現状に合っていて、もうどうにもならない事に納得しました。

人の心が変わるのは、握手をして和解しても、人の悪い行いを見ても真に変わりはしません。
人の心が変わるのは、尊敬できる人を見て、あのように成りたい。 
尊敬できる人から学び、心に染み入る事で、少しずつぼんやりと変わって行くのです。 
だから社会が持つ尊敬できる対象が、その社会の程度に成るのです。 
だから安易に因果応報で誤魔化さず、一つ一つ積み上げて行かないと、社会の程度が変わって行かないのです。 
一つ一つ精査していくことで、人としての心が備わって来るのです。 
人としての心が備わっていないのを地獄と言うのです。

本格的に宗教が始まって2千年以上経つのに、変わらないという事は、「慈悲をかけて何度許されても、繰り返します」と、傲慢な者は自ら証明してしまったのだと、寅は気づきました。 
この西暦2000年が期限だと気づきました。 
この2000年を境に、傲慢な者への掛けてはいけない慈悲は途絶え、犠牲になる人のことは考えずに慈悲を掛ける者もそれこそ一蓮托生、魂は永久に別れるのだろうと思いました。

本当は誰しも、心は素晴らしい感動を求めているのに、それが手に届かないと思うと、人を陥れ、人の幸せを奪い、自分は勝ち上がったと自慢したところで、そこには心の感動は有りません。記憶と知恵を持った人の心は、何に感動するのでしょうか。 
それは生命を感じとらえたとき、感動するのだと思います。 
そこから歌や踊りが生まれます。 
歌や踊りにも生命を感じ、そこから更に追い求めますが、結局、記憶と知恵を持った人の心が本当に喜び、感動するのは、生命を感じとらえたときに帰るのです。 
生命を敬い、心が安心したときに初めて、はかりごとをしなくなるから、植物が酸素を発生し、酸素をエネルギーにして移動できる動物が発生できた、その環境を創ってくれた自然と、向き合えるのです。
その八百万の神の恵みが、最も価値あることだと分るのです。


魂と人体の関係を仮定し想像してみる 
人間は人体と霊体と魂の繋がりでこの世にいる。 質量の重い順に並べると、人体・霊線・霊体・魂の順になる。  
人体には、質量には引力がある。 
質量には記憶と波長がある。 
霊線にも記憶と波長がある。
霊体は非常に弱い力で集合している。 
集合しているから非常に弱いけど質量が有る。 
壁など電子の結合の間を通り抜けるほどの小さいものが軽い結合をしている。 
しかし重力よりは強い結合をしている。 
質量は風を起こす。 
言葉や音楽にも質量が有る。 
赤子や猫等霊体の質量が見えるものがいる。 
光にも質量がある。蛇は赤外線、蝶は紫外線が見える。 
質量は磁気に影響を受ける。 
質量の波長は違いがある。
魂は非常に小さい意識の集合体である。 
小さい意識は小さい物に刻まれた経験である。 
レコードや石に磁気記憶が残るように、質量が無いとされている光やニュートリノの質量に、時間経過と共に刻まれた磁気記憶が集合して、少しずつ引力が増し、非常に小さい意識になる。 
その意識が集合して魂に成る。 
だから物や山や水も素粒子が振動していて、意識と同じような何かがあるかもしれない。 
八百万の神という。
その魂の意識の引力が霊体(バリア)を作り、霊体で魂を防御している。 
意識で密度を変化さすことで質量が変わる。 
何万倍と変える事ができる。 
意識は長い多くの繋がりから過去と未来を察知できる。 
過去は当時の人の意識を翻訳して過去が分かるので、当時のその人(成りすましの作為に騙される事もある)が間違っていれば間違った過去を認識する。 
または、自分に教えてくれる意識の存在がある時はその存在の認識の過去に成る。 
未来の予知は、生まれる前に強い意志を持って生まれた人ほどその近くを歩む。 
軽はずみな意思で生まれてくる者は結局嘘を吐いて出て来た様な状態になる。 
予知は教えてくれる意識の存在が映像や文字や意識で伝えてくるのを翻訳して認識できる。 
意識の存在が間違うこともあり、翻訳が間違う事もある。 
意識の存在は先祖であったり、縁ある存在であったりする。 
霊界からは生まれる前の意志や現在の意志が見えるし、関係している人や霊の意識がほとんど分かるので、全てが見えていると勘違いする。
意識の存在が認識の範囲内で未来を予想して霊媒に伝えているが、霊媒が翻訳を間違えることもある。 
意識が予想するという事は霊界ではその予想が現象化するということである。 
予想の思い込みを解けば現象化した映像も変わる。 
稀に正しい予想をする意識と霊媒の組み合わせが居る。 
人体と霊体は霊線で繋がっていて、魂が人体へ影響して意志を持ち性格を表す。 
脳や目が無い植物は昆虫から興味を引くため、また身を守る為、意識を体が受けて色や形や毒素を作る。
一つの魂は意識の集合体である。 
一つの魂が一つの体を持つ生物(人間や動物)と、一つづつの魂が複数の魂と連携している生物(蜂や蟻や植物)がある。
一つの魂の経験密度は全てにおいて違う。 
魂の強さは密度や仲間の数だけでなく、自分の意志の強さと守ってくれる魂の信頼の強さで魂の強さが大きくなる。
魂の強さや大きさのでき方は、 本や映像や実体験から多くの気づきを探し、少しづつぼんやりと訂正しながら信念を構築していくことで、魂が強く大きくなるのであって、何々に成りたいと言うようなものではない。
霊体が幽体離脱している時は人体と霊体は霊線で繋がっているが、魂だけでも離脱することができる。
魂は霊体に守られており、魂の一部は一念で電磁波の速度で移動できる。
しかしその時は霊体と残りの魂が少し無防備になる。
魂の一部が離脱している時、霊体の防御作用が何らかの原因で弱まった時、半空きの霊体に「憑依しようとする他魂の力」、対、「残りの魂とそれを守ってくれる縁者の魂の和の力」が弱い場合、又は何らかの入口が開いたままの状態のとき、霊体を完全に、又は一部、又はある期間、奪われてしまい、憑依した他魂の思考を人体の脳が翻訳する時、人体の脳の思考範囲内で翻訳してしまうので伝達がうまく行かず、自分と他魂の影響を受け、又は神経の欠損で、多重人格や精神疾患を起こすのではないかと思う。
他魂は違う霊体に長く居座ることは不快を覚え、いずれ離れるが、前霊体より居心地がいい場合、又はそう思い込んでいる場合は居座ることもあると思う。
霊体は普段はその霊体特有の何かに守られており、他の如何なるものも霊体を占拠する事はできないのだが、何かが原因で占拠されたり、他霊体が霊体の回りを覆ったり、または他魂に自ら意識を合わせたり、何かの影響で自分の霊体の魂の気力が弱まると、憑依されてしまうのだと思う。
また、憑依されなくても霊体と人体を繋ぐ霊線に何らかの異常が生じたり、人体の受信体に異常が生じると、人格に影響が出るのだと思う。
そこに薬で抑えると侵入者だけを抑えられれば良いが、自意識までも抑えてしまうと守りが更に削られてしまうと想像する。
人体と霊体と魂の繋がりは感情の変化で千変万化する。 
縁ある人が亡くなった時、物見遊山で葬式に来る人を避け、自宅でその人を想い、あの世の先祖にその人のことをお願いするのだが、私に他の事情で怒りがあった時は、そういう祈りはしない。
私の怒りの感情が伝わってしまい、その人にどういう影響があるか分からないからです。それほど霊に対して意識を合わす事は軽々しくしては危険だと思います。


宗教とは
釈尊は、神がいるのに身分や戦争がある事を疑問に思い、この世の秩序である神の御意志を悟ろうと、山に籠りましたが、真理を会得できないのは煩悩があるからだと思い、【欲を捨て無に成ろう】としましたが、会得できませんでした。
そのうち、動物や自然は置かれた環境の中で努力して生き、死んでいることに気付き、人間だけが特別ではない事に気付きました。
俗世から離れて修行すれば、嫌な思いに関わらなくて済み、俗世から逃げていた事に気付きました。
人間の本分とは、修行ではなく、俗世の中で悩み苦しみ、和合を求め努力することにあると悟り、山を降り、人々に伝えましたが、苦しい人々には理解できず、弟子たちは凡庸では満足できず、人から敬われる為に、【欲を捨て無になる】事が人間の本分だとあざむき、俗世を離れ修行の道に入りました。
早く敬われたいので、弟子たちが新しい神の理屈を考え、民を掌握できたので想像が本当になりました。
しかし、神も人も敬われると成長が止まります。
宗教のするべきことは、神の偉大さを解くのではなく、人の終焉を多く見聞きしているので、人生の一つの相談として、心の清めとして、人各々に助言できる情報を説く事にある。
共産主義と宗教は似ている。どちらも理想に思えるが、生身の人間でやると崩壊する。
そこには全知全能の神の裁可が必要だからです。

神とは
人間が創った【眩しくて見ることのできない計り知れない神】

人間は守られる知恵があるから【神】に頼り、自ら支配される事を求め、保護を求める。

【神】が宇宙の創始者で、救われる者と、見捨てられる者がいるという。
過去にもそういう事があったという。
その境界は何なのか、【神】から直接聞いた者はいない。
「神を信じない者なんか罰が当たればいい」と思う思考が、その計り知れない境界なのです。
あなたの大切な人が【神】に背いたら、あなたは大切な人を見捨てるのか。
あなたが見捨てないのならば、見捨てる【神】はなんと処置の疎かな事か。
如何なる者にも先祖がいて気がかりで心を痛めているのです。
そもそも「【神】の使いとして」【神】という概念を使って階級社会を構成したことが、【神】を私用したのではないか。
現実は宗教も社会も階級があり、植民地では教育を受けさせず、イルカは守るが民族虐殺・圧迫は見捨て、他を責める快感を正義にして金を出し合いゲームを楽しむ。
【神】に背く行為をしておいて、「私たちの罪をお許し下さい」と言って【皆が思う神】を利用するのです。 
現実は人間脳が創った【神】は作用せず、「勝てば正義、負ければ不正」である。
しかし、何故作用しない【神】を信じるのか、それは人が先祖霊の意識を察知できるからです。
実際、人は霊から影響を受けていますが、【神】ではなく、各々に縁のある霊から影響を受けています。
その霊の影響を【神】と思っています。
又、ほとんどの霊が【神】や【宗教】を信じたまま霊界にいっていますから、それらが創った霊界ですから幾多の集団に分かれています。
その霊達が人間に、上から目線で教えてきます。
元は雷や地震が神だと思っていた霊達が創った霊界から、正義として言ってくるのです。
霊界は一つにまとまっていなくて、分かれているのに、霊界では何故か未来が見えるし、人間の考えている事がそのまま解るので、自分たちは偉いと勘違いしているのです。
人間の経験によって霊界が進歩していることに気付かないのです。
人間の経験によって意識が思い出しているとも言えるかもしれない。
ほとんどの霊は「自分が正しい」ので他の道が見えないのです。
このような各々の霊が、守護霊として、悪霊として、【神】として人間に作用するのです。
現世の善意も悪意も霊界では《さとられ》のように見えています。
現世の人間でも《さとられ》のように解る人が、現実に多くいます。
このような人を、昔は【神】と言い、今は【神様みたい】と言います。 
しかし正義の判断が十神霊十色違います。

神霊の意識を受けて言葉にするシャーマンは、神霊の知能とシャーマンの知能が同じでないと正しく翻訳できない。
テレパシーを受取る側に全ての波長を受取る知能が無い場合、シャーマンの認識内に曲解されてしまう。

人とは
「神様がそんな事を言うわけがない」と、神でさえ、人間の思考範囲を超える事は出来ない。

戦争や病気が無くなると神は要らない。

人間は自分に都合の良い様に判断するが、 あえてその逆に自分に都合の悪いように判断することで、 自分は見識ある判断が出来ると自己陶酔して完結している気になり、 そこには責任を取るのは自分ではないという卑怯な根底があるのに、 あたかも有識者の顔をして居座っており、 紛争の種を撒くことで自分の価値を認めてとねだっている。 詰まる所、人を威圧するのと同じ次元です。

自分の思考範囲内でしか認識できないのに、 思考範囲を超えたものでも自分の思考範囲内に収めてしまい、 誤解していることに気づかない。 
世間の狭い者ほど人を裁き、世間の広い者ほどその地域を出る。

「自分を客観的に見る」と言いますが、人それぞれ自分の知識に変換して出しも、受け取りもするので、自分に客観的思考があると思っても、人からは異なって見える。

世間が狭い人は、全てを知っているつもりになり、世間が広い人は、多くを知りたいと思う。

世間が狭い民族は、民主主義という言葉で責任のない被支配者が権力を持ち、皆が協力して決め、皆が同じように分担して、間違っていても間違いを認める事が出来ず、時間を浪費する協力社会で責任が薄い。 世間が広い民族は、個々の責任の上に社会がある。

人間は知恵があるから皆狡い、狡くない人は、よこしまな行為の邪魔になるので、陥れられる。
必ず気の合わない人がいる筈なのに、皆から「良い人」と思われている人は、平気で嘘の吐ける人で、その裏では自意識が異常に高い、その代償を皆から搾取しているから演じ続けられる。
背くと陰で見えない復讐が始まる。

他部族に成りすまし(嘘を吐き)、悪事(陥れ)を働く者は、 疑われないので、弱く見えても性根が強気であり、強気(長けている)だから平気で嘘が吐ける。

怒ると叱るでは違うと言う思考自体が、上っ面思考なので、叱る資格も無い。
怒ろうと叱ろうと、心に響かないものは響かない、心に響くものは響く。
ぬるい世情に生きている人々の言葉に確かな重みがあるだろうか、聴く側にも受ける器があるだろうか。

人の脳は自分を拒否できないので、失敗は認めるが、今の自分が悪いと思っている人はいない。
自分が悪いと言う人は、自分の罪を隠し、更に対象を陥れようとている。
悪人は、「許す事が崇高だ」と、人が思っているのを知っているから、許す人を見下している。
何度も許されることを知っている。

全ての人が金持ちには成れない、全ての人が泥棒にはなれない。

品行の悪い人は、本当は優しいというが、毒を持つ昆虫が毒々しい警告色をしているのに似ていて、いつ牙を剥くか分らないのです。
「三つ子の魂百まで」は、それは性根だから一生変わらないと言っている。 
しかし、教育を受けているから、知らず知らず自責の念に駆られるので、特別優しくする時がないと、自分の正当性を保てない。
人は変われるのではなく、黒の上に白を塗っているから気に食わぬと黒が出る。何度も何度も何度も許しても、自分の意に合わなかったそれだけで強要してくる。

男は尻尾を振って出ていき、女は怨念を残して出ていく。

男は子供を自分の分身と思い、女は子供を自分の物と思う。

女は勘が鋭いのではなく、疑い深く、自分の考えが正しいから、いつも疑っている時、当たった時の記憶だけをもって、勘が鋭いと自負している。
間違った記憶は消えるのか?、間違った事を認識出来ないのだろうか?、だから、嫁姑問題は無くならない。
勘違いの方が圧倒的に多い。

古来より「雌鶏が時を告げれば世は乱れる」というのは、女性の判断は和を乱すことが男性より多いという事であり、女と男は脳が違う事を歴史が証明しているが、世を乱す道具になるのは男である。
弱い者に権力を与えてはいけない。武器を持たせてはいけない。
引け目から来る劣等感が執拗な復讐になるからでです。
男も同じである。「弱い犬ほどよく吠える」

男は本当は、働きたくない、責任を持ちたくない、自由で居たい。女は知恵があるから男に守らせ、男は仕方なく容認した。「男はつらいよ」なのに最近は女もそのつらさを求める。

敬われたいと思い始めたら、万人を意識するので、既に魅力も必要性も消えている。
敬われれば成長は止まる。

戦国時代も現代もどちらに付くかで勝敗が決まるということがありますが、勝とうと負けようと、10年20年で状況は想像もできない程変わるのだから、明日は解らないのだから、失敗を覚悟して自分の意とする方へ付くのが良い。 
自分の意に反する経験を選んでしまい経験が自分の物にならないのが大変勿体無い。 
意に反すれば社会もいびつな方へ偏っていく。 
子供の頃に、あんな大人には成りたくないと思ったではないですか。
それは何も知らない子供だからではないのです。
それが正しい事だから、損得を考えない子供には判断出来たのです。 
自分と後の世代を思うなら、大勢に流されず、自分の信念の変化を確認できながら積み重ねる事が、本当の自分を見つけ、後世の為になる。

人は集団になると自分の本意が言えない為、皆の思考とは違う方向へ集団が流されます。
戦前は戦争を扇動した報道が、戦後責任追及の恐怖から真反対に替わるのと同じ様に、皆も替り兵隊をなじりました。
自国の為に死を覚悟して戦った人をなじる精神は、幼児が大人を裁いているように見えます。 
贅沢をせず、耐えて来た兵隊さんや御両親の悲しみの犠牲の上に、今の日本やアジアがあるのに、現実を知らず、現実を教えず、理想を教えることしか出来ない人たちは、世界を良い方向に導く一員に成れるでしょうか。
世界の人と話し合いで解決できるでしょうか。

報道出来る自分を上位に置き、報道を大そうに考えるから作為が生じるのです。
記者の文才の誇示と、上司の意に添う作文になり、報道が偏向する。
現在、権威はどうかすると、責任を取らない少数の意見に傾く傾向がある。
多数の意見を報道しても大そうにならないからです。
事実を伝えるという報道が偏向し本質を換えてしまう。
信念を持って自分を確立出来ていないから、他者を排斥することでしか満足感を得られないのです。
この少数の知識人は社会の為と主張するが、社会を誤認している人達の意見を集めて自分の権威を作り、他者を威圧することに満足を覚える威圧脳の知識人です。
過去の歴史から反社会的な運動が正義に感じる思考を覚えた人達です。
権威を手に入れるには異端を主張すれば、民は簡単に誘導されやすい。
誤認を解いて本質を解くのであれば、自分の手柄にならないからです。
このような人達は、報道や政治家、有識者、先生、良い人、等自分の地位を守りたいと思う自意識の過剰な人に多い。
不特定多数の人に自分を敬わせ、権力者を威圧する事が目的であり、論理的に妥当性を考えている訳ではない。
有利に思える方へ集まる人々は、内なる自分の尊厳を確認できない為に、他者を排斥する事で自分の価値を自慢しているのです。 
他者に認められるまで不満が消えず、再び外へ自分を認めてくれる対象を探し続けるのです。 
外へ探し求めるのではなく、自分で自分を導こうとしないかぎり、誰も認めてはくれないのです。 
自分より少し離れた人が認めてくれるのです。
ほんの少しの人が認めてくれるのです。 
人間は大した事ないのです。
大した事ないのに浅知恵だけ働くのです。 

「何を言ったかではなく、何を言わなかったかが重要」と言うと聞こえが良いですが、「本当の事は言えない」というのが本意です。
日本では「見ざる聞かざる言わざる」本当のことはタブーなのです。
日本の報道もです。
国民が自律していないからです。

「親睦が大切」と言って、集会を嫌う人の気持ちは関係なく、強制的に人を集めますが、「親睦が大切」と言う人の中には家族ではなく、外に何か良い事を求める為に、飲食や話をする事が好きな人がいるのです。
家族との時間が惜しくて集まりたくない人の気持ちは間違っていると裁いているのです。
集会を拒否したり、意に添わない本当の事を言うと、親睦を唱える人が村八部を扇動するのです。

現代の人口が増え過ぎ満ち足りた人間の脳では、あやまちがあることさえ気づかない。
全てにおいて、人数や物質にしても数値が増えれば諸事情の負荷が働き限界を超え自滅するのです。
人としての生き方は、満ち足りた世でも、はかない世でも、変わらないのが神(人)の世であり、損得ではなく、自分の信じる道徳を貫き通すことが、たとえこの世で負けたとしても、するべき事を大切にし、穢されなかったのであるから、満ち足りた人生であったと、あの世に帰った時に、自分の魂とソウルメイトは、喜び逢えるのです。

本当の自分とは
人が神に祈る心は、万物の何よりも美しいかもしれません。
叫びたいほどの心を抑え、心を思い及ぶ限界まで、果てしなく遠くへ飛ばし、祈るのです。
その心は何と繋がるのでしょうか、 繋がっているのだけど、どうにもならないのでしょうか。
たぶん人間が生まれた時からの記憶の焦点に繋がっている様に感じます。
皆が祈ってきた、耐えてきた記憶があるので、 その同じ波長の枝に繋がった時、意味も無くほんの少し安心するのです。
その繋がりで、ほんの少し心に何かを得るのです。 
その枝の記憶が神(自分)なのです。
神(自分)とは、自分と志を同じくする魂の繋がり全てが、神(自分)なのです。
だから決して志を偽ってはいけません。
志を偽ると、魂の繋がりが分らなくなり、自分の立場が分からなくなるのです。

I vor to my country

I Vow to Thee My Country I vow to thee, my country, all earthly things above,
神様、私はこの世の何よりも深く祖国に誓います
Entire and whole and perfect, the service of my love.
祖国を思う心に、さえぎるものは何もありません
The love that asks no question, the love that stands the test,
その心にかげりは無く、苦難にも負けません
That lays upon the altar the dearest and the best.
私の全てを懸けてあなたを守ります
The love that never falters, the love that pays the price,
どんな犠牲を払っても、心が揺らぐことは有りません
The love that makes undaunted the final sacrifice.
最後を迎えようと、怖くありません .

And there's another country, I've heard of long ago,
聞き及ぶ、魂の故郷がある
Most dear to them that love her, most great to them that know.
それは、いつくしみに溢れ、この上もなく光栄なところ
We may not count her armies, we may not see her King.
そこには戦いは無く、国も無い
Her fortress is a faithful heart, her pride is suffering.
信頼のおける心が、確かなことで、自尊心は苦難となる
And soul by soul and silently her shining bounds increase,
集まる魂は、安らかに光り、輝きを増していく
And her ways are ways of gentleness, and all her paths are peace.
その意志は優しさに溢れ、その道は安心に包まれる


人格
今が重要ではない、なぜその道に入ったかが重要であり、成す者と成さない者との違いは、その道に入った思慮によって、道は初めから別れている。
成す者はいずれ成す。それはその道に入る時点の思慮に成す力があるからです。
成さぬ者は思慮が体裁にあり、体裁を繕う事に流れるからです、もしその体裁の思慮が見えるとしたら、毛が三本だけはえている様な物だ。
方便
方便は言う方側の認識であって、受け取る側に方便をもって対峙するのは失礼であり、受取る側の人生の責任を取る事は出来ない。
事実から解決することを失うことになる。
狭い世界に縛られ外界を知ろうともしなくなる。
迷い彷徨うことになった根元も見失うことになる。
「方便と大人の対応」という二つの不確定を使って、「空想を一般常識」にし、進歩の芽が枯れた魂の年輪を重ね続ける。
正義
正しい事を言う者は勝ったためしがない。
なぜなら歴史が曲げられているのが証拠です。
人の世は地獄
太陽の光はすべての人に平等に降り注ぐというけれど
世の中の片隅に生きている者には、人の世の光は、当たらない。
見えていても取り上げず、そこには自己責任として、取り上げる程の問題は無いとして、手を付けない。
片隅に追いやられている者の反対には、追いやった者がいる訳で、それにはいくつかの理由があるけれど、理不尽な理由から来ていることがある。
追いやった側は気に入らないから嘘で陥れたのであって、人の間に生きる人として一番してはいけないことである。
世間はいじめをした者の行為を見ぬ振りをして、その者たちとよろしくやっている。
見ぬ振りをしただけだから、知らなかったから、関係ないと思っているが、
弱肉強食を止めようとしている人間として、助け合うことを止め、切り捨てたのだから、一蓮托生であり、嘘を吐いた者と同じ道を歩いている。
その道を歩いていても気にならないから、自分の過ちを認識せず、世の常が変わることがない。
自分が幸せな時は、自分が世界一幸せだと思い、全てを許せるが、社会の歪はいずれ自分に返ってくる。
この世の中の仕組みは、勝者である裕福な者が作っているので、些細なことは余裕があるので許すことができる。
しかし陥れられた者には、人生に直結しているため、人生の失墜を迎えることになる。
そして世間は全てを許し、片隅に追いやられた者を無視し、卑怯にも勝ち抜いた者たちとよろしく社会を作っている。
そして自分だけは、片隅に追いやられないよう気を付けている。
それを地獄という。
天国と地獄
自殺をするのは、他の意識に自分の魂が乗っ取られている状態に近いと思います。
知恵があるから、心が疲れていたり、気力と体力が消耗して跳ね返す力がない時に、自分では憑依されている事に気づかず、自分の意志で熟考しているつもりですが、既に他の波長に浸食されていて自殺してしまう。 
だから自分が本来行くべき霊界の波長と合わず彷徨う事に成るのだと思います。
気力のない魂の波長を戻すには、「自分は何者にも穢されないと」いう強い意志が必要と思います。 
魂は、自分が正しいと思い込んでいた人はそのような波長の場所に、 見下されたくないから他を威圧していた人はそのような波長の場所に、 嘘を吐いていた人はそのような波長の場所に、 ごみを捨てていた人はそのような波長の場所に拘引されるのです。 
それを天国とか地獄とか言っているのです。
一つの宗教にも何派と分れていますから、その霊界は派閥を作った人とそれを信じた人の波長の霊界であって、基になった神は波長が違うからそこには居ません。
派閥の霊界では「神は眩しくて見る事が出来ない」と欺かれます。 
基になった神は「私を敬え」「意識を私に合わせなさい」「私を祈れ」というような波長ではありません。 
「人が人を裁くには過ちがある、人間は万物の一部であり長ではない、人間は大した存在ではない」という波長だから派閥の霊界には存在できません。
植物や動物の様に自力で生きようとせず、神に頼り、神の為に人生を費やす人は、何かにしがみつく人の様な波長の場所に繋がるのです。
そこには偉大な指導者は波長が違うから存在できず、指導者の言葉を利用した弁の立つ者の波長の場所です。 
言葉と音楽も物体も波長だから大切です。
波長は違う波長とは繋がりません。霊界では波長は外面ではなくて内面だから誤魔化しができず、同じ波長に拘引されます。

人間には、それぞれ細胞が再生されにくい時期があると思います。
例えば、50歳前、70歳前など。
細胞が再生されにくい時期に、悪い細胞を消す薬等、体に入れると、細胞が活発に再生され始める時期が遅れるのではないでしょうか。
その時期を過ぎると、再び再生が活発に始まり、不良な細胞も消えるのではないでしょうか。
長寿の地域は、医療が発達している所でしょうか。
細胞の再生が活発になる何かを、得ている人ではないでしょうか。
それは、水であったり、蛋白質であったり、喜びであったり、音楽であったり、悲しみであったり、人それぞれの人生により違うと思います。
しかし、薬だけで今までの難病が治ってしまうのも事実だから一概に言えない。
宇宙人がいるとしたら
我々が人間の為に居ると勘違いしているぞ、他の動物の方が余程頭が良い。
人間は動物の中で一番性質が荒く見栄があり、欲が強く、自我が強く、自尊心が強いから、扱いやすく、洗脳するのに丁度よい知能をしている。
霊界が質量を持つことを気付き始めたので、その質量が人間の未知のエネルギーだと気付けば、霊界が集まれば脅威になるかもしれない。
ブラックホール
ブラックホールは吸い込まれて何処か(ホワイトホール)と繋がっているのではないと思います。
光は重力で曲がるのだから、球体を見て鉛直の部分は光が交差し合って、 高温域で反発し合って見えなくなるのではないかと思います。
側面の観測ができていないから。
だから、そこには大きな球体があって、異次元に行くのではなく、ぶつかって終り、球体が少し大きくなる。球体が大きくなりすぎると、自滅する。
UFOがいるとしたら、UFOは球体でないと隠れられない。
ダークマターとダークエネルギー
ビックバンの中心と各銀河との間はダークマターが無く、銀河の中はダークマターがあるのであれば、高い温度帯(素粒子)の周りの膨大な低い温度帯(魚に対して水:素粒子に対して未知の質量)の層が、高い温度帯の影響を受けて均一になろうと膨大な量が膨張するなら、ダークマターは高い温度帯、ダークエネルギーは低い温度帯 と言えると思う。
スピリチュアル
一つの事象も知性に拠り認識が違い、善悪、正義不正の判断が神霊それぞれ違います。 
認識が違うだけではなく、自分の間違いを消すために嘘も言います。
自分の正当性を主張する為に他者を陥れます、言い訳をします、又、人では分かりえない事実も教えます。 
詰まる所自分の保身の為か尊敬してもらう為に接触してくるような神霊は、自分の意の方向へ傾くように導きます。
そのような神霊に背くと問題が生じ、再度敬う様に導きます。
そのような神霊は自分を正当化する言葉を探せば探す程相手が憎く成ります。
ものごとは傲慢な者の方へ事が進まないと解決しないのです。
だから神霊に憑依されている人に、守護霊などは接触して来れないのです、意識が違うから接触できないのです。
接触した端から邪魔が入り以前より悪くなるからです。
神霊の言葉を信じ、自分の思考を失った事にも気づかず、この世にいる生身の自分を自尊心の高い神霊の為に費やす事は、どちらの為にもなりません。
ひどい場合は安易な解決法として罪を負う形代(傀儡クグツ)として利用されます。 
鷽(ウソ)が本当になるのです。  
神を信じる者程、神霊の言葉に背くという思考はありません。
皆自分が正義だと思っているから自分の意を失ってまで神霊の正義を妄信するべきではありません。
カリスマ性
人は不確実な、「信じる」という知能があるから、物事を複雑にして威光(カリスマ性)を放ち、その権威に連なって一本道を永遠に右往左往しがちです。 
宗教にしろ、物理や医学、歴史にしろ、解っていないから複雑に表現することがボスになれる資質のようです。 平たく表現できるのに簡単に言うとお金(権威)が集まらないのです。
平たく表現する者を稚拙として見向わないようにするのです。 
職人の世界では「見て覚えろ」と言いますが、これは表現できないのです。
親方は、こうすれば上手く行くと分かっているのですが、何故うまく行くのか説明できないのです。だから見て分からない者に教えても上手くはならないのです。
科学を超えて上手くやっているのです。
物事を平に表現したら、カリスマ性がなくなり、多くの人が教育を受けられ、その分野が進歩し、格差が小さくなり、新しい道が枝のように増えるかもしれません。 
又は誤魔化しが無くなり、経済が縮小するかもしれません。
今が膨らませ過ぎているのです。


資本主義の神の見えざる手
資本主義では、個人の労働対価より付加された商品を買う事になるので、商品を手に入れる時、人口の8割に及ぶ平均的な労働者は自分の労働対価に付加された金額を払わないといけない。
ということは、自分の労働力より小さい生活をしなければならない。
労働力に付加された商品を売る事が出来る側は、自分の労働対価より大きい収入を得ることが可能になる。
この格差は、時間が経つ程少しずつ開くので、資本主義では格差は時間が経てば必ず大きくなる。
しかし、生産と消費を支えている土台は8割に及ぶ平均的労働者だから、その土台が7割になったり、ある程度格差が出来ると、経済が停滞してしまう。
平均的労働者に余裕が無ければ、付加された商品を売る事が出来る側は、販売が落ちて収入が少なくなる。
原因は土台の容量が小さくなった為であるから、価格を付加する側が、付加量を下げ、自分の労働対価に近づけなければいけないのに、労働対価をより多く求めるのが資本主義だから政策を要求するようになる。
政策は自由競争に影を作り、策略は自由競争の道理を外れてしまう。
土台を国外に求めても、国内の土台が疲弊するのだから、一蓮托生で付加できる側だけが優位に居続けることはできない。
根本的に、平均的労働者の支払率が小さくならないとお金は回らないので、どんな政策をしても尾を引くことになる。
資本主義では時間が経つほど必ず格差は大きくなるので、
経済を整えるには、付加できる側は付加量を下げ、平均的労働者からお金を搾取することを政策によって誘導しないことだと思います。
今となっては、土台に余裕が出来なければ、経済は回復できませんが、資本主義ではモラルが絶対必要条件になりますが、人間は自制できないことを歴史が証明している。
年貢を与えているのに
権力者は皆から税金を集め、皆の為に税金を使って施しをする。 
言い換えれば、 権力者(執事)は皆(主人)からお金を預かり主人の為に必要な仕事をする。 
立場もすべき事も逆にあることさえ気づかない。 悪しからず! ・・・
個性
人は一人一人みな違うが人間の価値観、行動は、環境や教育により大まかに何種類かに分類できるのだから、個性という言葉に気を取られず、何タイプの目立つ人というだけである。
個性とは年輪の様に積み重ねた信念に表れる。
数十年と「地に足を着けた」信念だから何物にも穢されない個性を持つのです。


運命
人はそれぞれ器量(運命)を持って生まれている。
器量は他から決められた者もいれば、自分で決めて出た者もいる。
大まかな運命が映像で見えるそうですが、全くその通りになっている人と、その通りではないがその辺りを通る人がいる。
それは多分、守ってくれる者と邪魔をする者とで左右する。
幸せになると不安を覚えるのは邪魔をする者が多くなるのを知っているからです。
器量は過分も過少もあるので、器量で本人の価値は計れない。
器量は織り込まれた道の様なもので、轍を踏むごとに影響を受けて違う道が織り込まれる。
轍を踏むことを避ける事は必要ですがその轍が何か解って踏む者はいない。
轍を踏むことを避ける為に信念(魂)を殺して無難な道を選ぶから、意識は外に向き他を責め刺激を欲しがる。
器量は人それぞれ違うのだから、信念を殺して生きていたら外面だけ綺麗なのだから、自分は勇気があると自負していても、脅えている魂であり、動物より尊厳がなく不幸である。
高次元
高次元を求めるから、良識と知性という言葉がクサビとなって、悪を正す事ができない。 
人を憎まず許せ (次は他の人が犠牲になる) 
乗り越えられる試練 (悪を特定しない) 
人は皆神の子、根から悪い者はいない (悪に権利を与え) 
そうすれば、正直者が働き、悪が得をする、と歴史が繰り返し証明している。 
その反対に、全人類が悪からの利得を拒否し、明らかにすれば、高次元という理想に近づける。
何故、人は人を殺してはいけないのか
それは、人間社会は人権を約束して、弱肉強食をを止めたからです。
人間は知恵と武器を使うから、休まる時がないからです。
そのルールが無ければ、各人がより強い武器を持つようになり絶滅するからです。
だから人は人を殺してはいけないのです。
約束があるから武器を持たないのに、現実は武力や財力で勝てば支配が許されます。
自分を守るのはルールなのです。
財力で負けても、食べていけないのです。
世界では5000年前から、日本では2300年前から勝者が生き残り、敗者が途絶えて来ました。
敗者は知能が低くて負けたのではありません。
戦う意思が少なくて、武器が弱くて負けたのです。
人間は勝者が先導して、戦いに意欲的でない者が途絶え続けて来ましたから、現在の人間はどんな形にせよ勝ち残った者達なのです。
相手が困っても勝てば良いという、欲が勝った者達なのです。
弱肉強食を早くに止めて、ルールを守り続けていれば、途絶えた人達が大部分を占める社会になっていたと思います。
知能が低くて負けたのではありませんから、互いに尊厳を敬う社会が出来ていたと思います。
弱肉強食では、強い武器を作り続けなければいけません。
財力に屈服しないといけません。
人間は力による支配は受けない約束のはずなのに、勝てば支配が許されるから、戦争は無くならない。


幸せ
秩序に守られた社会があるのに更に守護を求めるのは、あまりにも平和を軽く見すぎており、他の犠牲の上に自分たちが居る事実を認識できていない。
本質を見通す事も出来ないのに、責任は取らないのに、要求だけすることが許されているから、許しているから、人に迷惑をかけても平気な人間が増えている。
このような状況で幸せを求めるのはいかにも傲慢であり歴史から見捨てられ汚塵しか残らない。
「人生は一度きり」ではなく、数万年前からのリレーの途中なのです。
誰も自分と他人の人生の責任を取る事はできません。
しつけのされていない犬は他に危害を加えるのです。
野生では許されないのです。
危害を加えた事は感情の借金に成ります。
逆恨みでも感情の借金を受けるのです。
感情の借金は2千年も続くのです。
中途な知性だからこそ、たとえ理不尽でも感情の借金は消えないのです。
推し量り、差し控えることが日常に無ければ、野生も絶滅します。
他と自分を比較せず、自分の信じる人物になり、人生に嘘のない素直な自分になることが、人に頼らず心が満たされ幸せを感じるのではないでしょうか。
幸せの本質
価値観が同じ中で生きることが幸せなのですが、全くそのような状態になる事はあり得ません。
物事のあるべき道理を判断する認識力は、境目というか別れ目がある程、人それぞれ違い、常識は一般人の平均的な価値観で成立している様に見えますが、誰にでもあてはまる事ではありません。
あてはまる人ほど幸せで、外れる人程ストレスを感じるのです。
大きく外れたイエスや釈迦やマホメットは共通の価値観の中で暮らせるという幸せを得ることが出来ない中、出て来た【一部の人達】だと思います。
人は知恵によっていろいろな様相に境目がある程分かれてしまっているので、狐と狸くらい違うので話が通じないのです。
せめて狐と狸くらい違うという事を知って、人間の価値観は同じにはならないという常識と、共存できる敬える心を学ばなければいけないと思います。
人間は自分達側だけ優位に居続けることは不可能なのです。
いただきます
「いただきます」は、生命を奪って食べる事を魂に詫びて感謝をし、魂がその気持ちを受けてあの世に行けるようになぐさめ、あの世に導く思いが籠る言葉。
對食(たいじき)の言葉
一粒のお米も一滴の水も皆戴いたものであります。
自然の恵みにあらずして、どうしてこの食事を得ることができませう。
慎んで、味の良し悪しを思ふてはなりません。
これは我が身を養ふ薬と思へば飢と渇(かつ)とを凌ぐ(しのぐ)だけで十分であります。
もし、不足の思ひをなさば、そは恐ろしき我が身の攻め道具となります。
食事の時はいつもこの思ひを致しませう。
願くばこの食事の力を以て、永く我が身を養ひ、上(かみ)は御佛(みほとけ)の救ひをあほぎ、下(しも)は世を渡る人たちの船となりて、共に倶(ごも)に、平安の生活に入らんことを。


昭和二十年七月十日 
874名が乗船したまま轟沈された望月丸(875t)
朝鮮の陸軍航空部隊向け補充要員として、874名が七月九日、博多千代国民学校に泊後七月十日十八時前後、博多港を対馬―釜山に向けて出港後、消息不明になりました。
米軍の望月丸撃沈記録について「望月丸は昭和二十年七月十二日東経一三〇度二二分北緯三三度三八分に於いて不明飛行機に依り撃沈さる」右は望月丸沈没に関する唯一の確認と見られる資料であるが、撃沈位置が旧日本海軍の海図では博多灣頭西戸崎の近くに標定され此の点尚稍疑問の点があったので再照会したが之以上の資料は無いことが確認された。
望月丸が船長以下全員及乗船していた本補充要員の全員が全然生存者なく、對馬附近は勿論裏日本一帯に亘る漂着遺体も皆無である状況から見て望月丸は完全に轟沈したのではないかと判断される。
以上の如く望月丸の沈没については米軍記録以外に確認がなく細部の予測は困難であるが、当時の状況から推察して十日沈没と判定した方が最も真実に近いのではないかと考えられる。
長崎沖で潜水艦イー402は発見されましたが、博多沖の望月丸と874名はまだ発見されていません。
皆二十歳前後の若者ばかりです。何故今まででも、探さなかったのだろうか。
夜だから轟沈の光を見た人がいるかもしれないのに。

神社と寺と教会
神社では祟りを恐れた民は自然を奉るのと同様に社を建て祀り、祟り神に許しを乞うた。
寺では仏が祟る者を救い、仏に許しを乞うた。
教会では正義の名の下に許しを乞うた。

個人が書いた本には同感を求める心の動きが入り、読者が新しい経験をしているかのような心の動きを記憶する。 
数人が創った映像は感動して刺激が残り、さらに刺激を求めるようになる。

Ye Jacobites by name 

Ye jacobites by name, lend an ear, lend an ear
ジェームズ2世の子孫よ、耳を貸しなさい、聞く耳を持ちなさい。
Your fault I will proclaim,
あなたたちの誤りを、私が指摘します
Your doctrines I must blame, you shall hear, you shall hear,
憎まれるべきはあなたたちの理論、心で聞いて真偽に気づきなさい
What’s right, and what is wrong, by the law, by the law?
正邪を決めるのは、あなた達が思った神の教えですか、決めた法律ですか?
What’s make heroic strife famed afar?
世に轟く戦の英雄とは、何を持って英雄と言えるのか
Aye let your schemers alone in the state.
戦おうとしていることを止めて堂々としていなさい
Aye leave a man alone, to his fate.
さあ、そのままにして、進むべき道に戻りなさい

戦争をするのは、正邪を決めたから、法律を決めたから、だから何も決めなければ良いかと言うとそうでもない。 穏やかになる事を学ぶしかない。